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| 「ランドクルーザー」という車名は アメリカの自動車会社が最初に使っていた |
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| ランドクルーザーという車名はアメリカの自動車会社であったスチュードベイカー社の車に付けられたのが始まりです。 スチュードベイカー社は1852年に鍛冶屋としてスタートしました。その後20年余りで世界最大の馬車製造会社へと成長し、自動車製造会社へと転進していきました。1933年には大恐慌の影響で一時的に破産管財人の管理下におかれますがまもなく立ち直ります。小型車部門で人気が高く、戦後も好調を続けていましたが、いくつかの原因で徐々に財政状態が悪化し1954年にはパッカード社と合併しました。その後一時的にヒットは出しましたが財政状態は好転せず1966年114年の歴史を閉じました。 「ランドクルーザー」という車名はスチュードベイカー社の4ドアセダンモデルで2度使用されました。 1度目はいくつかの異なったモデルにランドクルーザーという名前を使いました。「Dictator Land Cruiser」、「President Land Cruiser」などという使い方です。このような方法で1934年、1935年、1941年、1942年のモデルに使っています。 1947年には独立したモデル名として再登場し、1954年まで使われました。生産台数は以下の通りです。スチュードベイカー・ランドクルーザーはスチュードベイカー社が作った車の中で最も意匠を凝らしたスタイルを持ち価格的にも最上位にあったものでした。 一方、トヨタ・ランドクルーザーは1953年トヨタ・BJジープとして量産が始まりました。しかし、1954年に「ジープ」という名前が米国ウイリス社の商標権に抵触するということが分かり「ランドクルーザー」という名前が付けられました。 このときにトヨタは「ランドクルーザー」という名前がスチュードベイカー社で使われていることを知っていたのでしょうか。当時すでにランクルをアメリカに輸出しようと計画していたならば当然商標権を含めて調査したはずです。ランクルがアメリカに輸出されるのは、ブラジルへのノックダウン輸出やオーストラリアへの輸出以降の1958年1月のロサンゼルス輸入自動車ショーへの出品が最初ですので、そういう状況を勘案すると1954年当時はアメリカのことは念頭にはなかったのでしょう。 もしスチュードベイカー社が「ランドクルーザー」という名前を商標登録していたらアメリカへの輸出のときに、少なくともアメリカ向けにはトヨタはまた名前を変える必要に迫られていたはずです。 スチュードベイカー社が「ランドクルーザー」の生産を終了したのと、トヨタが「ランドクルーザー」という名前を採用したのがどちらも1954年だったというのはなにか因縁を感じます。 |
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| スチュードベイカー・ランドクルーザー生産台数(1947-1954) |
| 製造年 | 生産台数 | 特記事項 | ||
| 1947 | 20,519 | |||
| 1948 | 35,731 | |||
| 1949 | 14,390 | |||
| 1950 | 24,712 | "bullet nose" styling | ||
| 1951 | 38,055 | V8 | ||
| 1952 | 20,117 | |||
| 1953 | 15,981 | |||
| 1954 | 6,383 | |||
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| 1941 Studebaker President Landcruiser Skyway Sedan | |||
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| 1950 Studebaker Landcruiser (Bullet Nose Model) | |||
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| 1951 Studebaker Landcruiser | |||
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| 1952 Studebaker Landcruiser | |||
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| 1954 Studebaker Landcruiser | |||
| <資料提供> Brian Millette, the Studebaker Drivers Club. Andrew Beckman, Archivist, Studebaker National Museum. |
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