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1980年8月〜 |
BJ41Vを購入。新聞社のカメラマンとしてサラリーマン生活をしていたので、ランクルとの付き合いは冬のスキーや時々の林道ツーリング
が主なものであった。パワステも装備されておらず「オモステ」は小さな駐車場などに車を停めるときには往生したが、赤い愛嬌のあるボディー・スタイルはとても気に入っていた。 |
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1986年6月〜1986年12月 |
会社を辞めフリーの写真家として独立。ランクル41Vを船に積んで夢にまで見たオーストラリアへ。ここからランクルとの付き合いが仕事レベルにまで入り込み、切っても切れない関係へ…。>>>旅の詳細 |
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1987年5月3日・4日 |
第1回ランドクルーザーズ・ミーティングが岐阜県中津川市で開催される。全国から500人を超えるランクル・ファンが集まる。これ以降ミーティングは年1回のランクルファンのお祭りになっている。雑誌の取材という形で参加したが、仕事の枠を超えてランクル好きのファンと知り合うことができた。>>>詳細 |
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1988年1月〜3月 |
オーストラリア大陸南岸沿いを取材。最初の計画では現地で中古のランクルを買うはずであったが、予算があわずHJ60をレンタルした。
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1989年6月〜9月 |
オーストラリア・キンバリー地方を取材。今回は中古のBJ42Vを購入、それで移動した。帰路のナラボー平原では有名な「ティー・アンド・シュガー」列車の取材も実現。>>>旅の詳細 |
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1991年2月〜3月 |
前回の旅の後ブリスベンの友人宅に保管してもらっていたBJ42Vでタスマニアへ。 今回は3歳になる息子も同行しての一家での移動となる。メルボルンでは友人と5年ぶりに再会するなど思い出多い旅となった。1月17日に湾岸戦争が始まっており空港での物々しい
警備の様子が今も記憶に鮮明である。次回取材時期が未定なのと、車の大きさの問題などもありBJ42Vはブリスベンに戻って売却した。>>>旅の詳細 |
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1992年9月〜10月 |
念願かなって初の写真集が発行されることに。HZJ75トゥループキャリアをレンタルしオーストラリア中央部への追加取材を行った。雨にたたられ泥の中でパンク修理をしたことが思い出される。>>>旅の詳細 |
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1992年11月 |
雑誌の取材でマレーシアの熱帯雨林で行われたジャングル・レースに同行する。全行程雨、雨、雨…。深夜、泥の中で必死のウインチ作業。ランクルばかりではなかったが感動的な1週間だった。 |
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1993年7月〜8月 |
NHKスペシャルの年間番組「生命」の第1回目番組制作のロケ隊を率いてオーストラリア・ピルバラ地方へ。ディレクターのイメージに叶ったスポットを探すためHZJ80で川を渡り、スピニフェックスの「海」をオフトラックドライブ。ロケーション・コーディネータとスチール撮影という一人二役の旅だった。>>>旅の詳細 |
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1994年9月 |
初のアメリカ取材。ユタ州の奇岩・奇景を撮影に行く。ランクル・ミーティングで会い、交流を深めていたロサンゼルスのスペクター夫妻は彼らのFJ40Vを私に提供してくれた。初めて運転するガソリン仕様のランクルだったが、当時は燃費を気にすることも気にする必要もなく、けっこうやかましい2Fエンジンの音にはまってしまった。>>>旅の写真 |
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この後アメリカ取材は続くが、車にかける保険の関係で個人の車両を拝借することができなくなったため、ランクルでの旅はあきらめざるを得なかった。
また、オーストラリア関係ではグレートバリア・リーフの撮影に重点を移したためランクルを借りる必要もなくなり、しばらくは普通の乗用車での取材が続いた。 |
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2001年6月 |
雑誌の取材でオーストラリアへ。広報車のHZJ105でニュー・サウス・ウェールズ州の綿花農家へ。農場内では10数台のランクル・ピックアップが働いていた。>>>写真 |
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2001年7月 |
雑誌の仕事でランクル・オーナーを取材しにドイツへ行く。オーストラリアとは全く異なる環境でもランクルはやっぱり大人気であった。街でもいろいろなランクルにめぐり合えた。>>>写真 |
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2005年6月 |
オーストラリア・ガルフ地方のロスト・シティという奇岩を撮影できることになり、本当に久しぶりにアウトバックへ。1年間かけて探し出し購入した FJ45トゥループキャリアでメルボルンから8000キロの旅へ。約1カ月にわたり、エアコンもない45を操り、文字通り全身に赤い砂埃をかぶりながらの運転を続け、
ほとんどをテント生活で過ごした。タフな撮影旅行であったが、現地ではたくさんの人と知り合え、ランクルならではの出会いもあった。今回の旅を終え、私は「アウトバック」の麻薬的な魅力に再び取り付かれてしまった。>>>旅の詳細 |
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2006年2月 |
大学進学が決まった息子とビクトリア州のハイカントリーとオトウェー山地の温帯雨林を撮影に行く。 息子にとっては1991年にタスマニアに行って以来15年ぶりのオーストラリアだ。わずか2週間の旅だったが免許を取ったばかりの息子は山の中でFJ45を四駆で運転し初の
ドライブ・デビューをした。>>>写真 |
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2006年6月〜7月 |
前年に続いてガルフ地方のロスト・シティへ。10年間勤務した後充電中だった妻とFJ45で旅をした。レッド・センターからガルフ、トロピカル・クイーンズランドを回りグレートバリア・リーフを撮影してきた。>>>写真 |
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