(1980.08-1993.08)
 1980年(昭和55年)8月にBJ41Vを購入した。ランクルとの付き合いの第一歩である。型式はK-BJ41V-KCY、40系ショートホイール ベース、バンタイプ、リア観音扉でL仕様である。L仕様には、メッキ・フロントグリル、メッキバンパー(前・後)、ホワイト塗装ホイール、ブラックアウト・アウターミラー(メッキス テー)、メッキ・リアライセンスカバー、ブラックアウト・ウインドウ・フードキャッチャー、ブラックアウト・フロントターンシグナルランプ、チェック柄ニットテープヤーン・ シート、フロントシート・バックポケット、アイボリー・ドアトリム、ライトブラウン・フロアマット、ベージュ・コンソールボックス、ホワイト・シートガーニッシュ、ベージュ・ シートベルト、ディスクブレーキとなっていて、外板色はホワイト、フリーボーン・レッド、イエローが選べた。
 買う前に近くのトヨタディーラーにカタログ請求をしたところ在庫がなくて、後日カタログの代わりに4X4マガジン社が出版していた「トヨタ・ランドクルー ザー特集号」がポストにセールスマンの名刺と共に入っていたことを良く覚えている。
 車両本体価格は1,597(千円)で、L仕様はプラス25,000円だったような記憶がある。さらにサイドポールを取り付けてもらった。当時の記録を見ると、 現金一括払いだったからだろうか、18万円くらい値引きをしてもらっている。いきさつは良く覚えていない。
 このランクル40には13年乗ることになるが、最大のイベントはオーストラリアまで船で運んで、妻と半年間の撮影旅行を行ったことであろう。
 パワステなどなく、騒音もうるさく高速道路では助手席との会話もままならなかったが、この車で本当にたくさんの友人ができたし、人生観も大きく変わった。
 13年間、故障して路上で往生したことは一度もない。修理としては75,000キロ走行時にダイアフラムの不具合のため 噴射ポンプのリビルト交換、110,000キロ走行時にスピードメータケーブル切れくらいなものである。
10万キロは1991年11月16日静岡に行く途中の東名高速道路59キロポストにて達成している。
(1989.06-1991.03)
 1989年6月から9月まで約100日間、オーストラリア・キンバリー地方の取材に出かけた。 3回目の取材となるが、前回の南海岸沿いの取材時に計画していたものの、予算が合わずに断念していたランドクルーザー購入計画を実行した。というのもランドクルーザーの レンタルは1日100ドルくらいかかり、100日間借りるとそれだけで1万ドルの出費となる。ならば一旦買って、取材が終わった段階で売却すれば安くすむではないか。オースト ラリアでのランクルの人気は高く、売却価格もそれほど安くならないことも幸いするし。
 今回はブリスベン到着後すぐに車探しに動いた。中古車ディーラー、個人売買含めて4台のランクルを下見した。結局、1982年式BJ42Vを12,275ドルで 購入することに決定した。走行距離は95,000キロ、7年落ちの車にしてはむしろ少ないくらいの走行距離だ。エンジンは3B、パワステ付だがダッシュボード回りはマイナーチェ ンジ前のタコメーターのないシンプルなものだった。日本国内仕様との最大の違いは四駆に入れる電気スイッチはなく、レバーで切り替える機械式だということだ。電気部品が 少なく信頼性が少しでも上がるからだろうか。タイヤはオリンピックブランドの7.50R-16。それも8PRの固いものがついている。スペアタイヤを1本追加してスチール製ブルバー にくくりつける。その他に、長距離走行に備えてジェリ缶を2缶、飲料水用のポリタンクを2缶用意する。
 結局この42は100日間のキンバリー取材と、1991年2月から3月にかけて3歳になったばかりの息子を連れた一家での40日間のタスマニア取材に使って、 ブリスベンで売却した。とりあえずの長期取材が一段落したのと、これ以上持っていると売却価格が安くなる恐れがあるということで残念ではあったが売却した。2回の取材での 走行距離は3万キロ、平均燃費9km/L、売却価格は約8,000ドルであった。
(1993.08-2003.10)
 13年目に入ったBJ41Vはすこぶる快調に走っていた。しかし、周辺では変化が起きていた。 子供も大きくなり、撮影の機材も増えてきた。2ドアの車では後席へのアクセス、居住性が4ドアに比べ劣ることは明らかだった。また、撮影機材の出し入れにも手数がかかり、 4ドア車への移行も検討に入っていた。さらに追い討ちがかかった。ディーゼル貨物車のNox規制が開始されるという。どうしよう...。
 そんなときランクル仲間から電話がかかった。「オーダー・キャンセルの80スタンダードが1台あって、ディラーが処分できなくて困っている。買わない?」
 以前から、80のスタンダードならば乗換えてもいいかなと公言していた。オーバーフェンダーのない標準ボディー、荷室へのアクセスの断然いいリア観音扉、 泥汚れ、水濡れなど気にしなくていいビニールシート、ビニールフロアへのこだわりがあった。
 早速、ディーラーへ行き詳しい話を聞く。この80STDには機械式ウインチ、ドアミラー、リアワイパー・ウインドデフォッガー、 フルフローティングリアアクスル、L.S.D.、雪国仕様というオプションがついていた。「今から何も追加注文できませんし、このオプションがついたまま買ってくれるなら 特別のお値段にさせていただきます」ということで、口には出せないほどの魅力的な価格で話はまとまった。
 1993年8月下旬、オーストラリア取材から帰ってきてからディーラーに車を引き取りに行き、U-HZJ81V-RCMRS(P)が我が家の2代目のランクルとなった。 2003年10月まで10年間、走行距離119,500キロを共にした頼りがいのある家族だった。
(2003.11-present)
 全く手放す気持ちのなかったランド クルーザー80スタンダードだった。ところが首都圏自治体のディーゼル「貨物」自動車PM規制と国のNox・PM規制が実施されることになってなにやら様子が変わってきた。 自治体のPM規制は2003年10月から実施される。また国の規制に関しては、80スタンダードは2004年7月の車検が最後になる。
 何とか排ガス規制をクリアしてこのまま乗り続けようと考えたが、予算、技術の面で実際的ではなく諦めざるを得なかった。
 そこで、次の手を考えた。
 80スタンダードのエンジンをディーゼルからガソリンへ載せ替えるというものである。ガソリンエンジンならば、そもそも規制に関係ない。 早速実際にエンジン換装を手がけるショップに問い合わせるが、エンジンを別にした登録までの作業費用だけで150万〜200万円、1FZ-FEエンジン は流通量が少ないので事故車が見つかれば一番早いがそうでない場合はいつになるかわからない、という。この方法もまた諦めざるを得なかった。
 いよいよ今の80スタンダードに乗り続けるのがむつかしい状況になってきた。エンジン換装の可能性は捨てないまでも次の手を考え始める。

 全く手放す気持ちのなかったランドクルーザー80スタンダードなのだが、趣味だけで使っているわけではなく仕事の足ともなっている。現実的な対応も必要だ。 それならば同じ80のガソリン車はどうだろう。しかし、ガソリン80はすべてワゴン(乗用車)登録だ。毎年の自動車税を考えるととてもじゃないが所有できない。 それにほとんどが4AT車で5MT車は稀少である。価格も排ガス規制の動きで高くなっていてちょっと手が出ない。
 ここで15年以上も取材を続けているランクル大国オーストラリアに目が向いた。彼の地ではアウトバックを長距離移動するのには圧倒的に80ディーゼル車が人気があるのだが、 ガソリン車もたくさん走っている。また、そのほとんどはマニュアル車である。そこで考えた。それならばオーストラリアでマニュアルの80ガソリン車を購入し、 日本に個人輸入して貨物車として登録できないかと…。
 悪戦苦闘の結果、2003年11月、FZJ80R-GNMNKQは我が家の3代目ランクルとなった。
 >>>詳細
(2005.5-present)
 1986年、私がオーストラリアの撮影を始めた時、当時日本で乗っていたランドクルーザーBJ41Vを船で現地に運び、 半年間大陸東半分を回った。
 その後、取材でアウトバックに入るときに使った車もすべてランクルである。HJ60Vで南海岸沿いを、現地で買い数年後に売却したBJ42Vではキンバリーやタスマニアに行った。 HZJ75Vトゥループキャリアでレッドセンターを集中取材し、NHK取材班を率いてHZJ80Vでピルバラを移動したこともある。
 オーストラリア人自らがそう表現するのだが、アウトバックは「ランドクルーザー・カントリー」と呼ばれている。牧場も鉱山も鉄道会社も電話会社もすべてがランクルがなければ 始まらないのである。信頼性と耐久性に絶対の信頼を得ているランクルはアウトバックの暮らしの必需品となっている。
 1985年、ロスト・シティーに入るための移動手段として検討したのは当然の流れからランクルだった。それも45トゥループキャリアである。初めてオーストラリアを走ったのが 40系であったという思い出もさることながら、現在のオーストラリアでのランクル伝説を作ったのは他でもないこの車なのである。1年間かけて現地の知人の協力を得ながら車を探し、 1985年5月にシドニーで1984年型FJ45Vを個人売買で購入した。その後メルボルンに回送し、タイヤ、ブレーキ、サスペンションなど足回りを中心に入念に整備をし旅に備えた。
 エンジンは3Fに、ミッション、トランスファーは80用のものに換装されている。25万キロ走っている「老兵」だが、3000キロのダート走行を含めた8000キロの旅をノントラブル でこなした心強い相棒だ。
 1986年2月はビクトリアン・ハイカントリーからオトウェー山地の雨林帯へ、同年6月には前年に引き続きガルフ地方への1カ月の旅をするなど大活躍である。現在もメルボルン郊外 の車庫で次の出番を待っている。




Home | News & Topics | My LC | LC と私 | 海外のLC | Travel | Products | LC逆輸入 | Links | Contact Us