「アウトバック」という言葉にひかれ、私はオーストラリアという大陸にのめり込んでしまった。広大なこの大陸の約70%を占めるアウトバックにこそオーストラリアの本当の姿があると考え、1986年6月から約半年間、日本から運んだ愛車トヨタランドクルーザーBJ41Vと共にアウトバック2万5千キロを旅してきた。

4×4と出逢い
夢が生まれる。
そして会社を辞めてでも
夢は実現させる。
夢をみているだけではつまらない。


 私はラリーが好きで、大学自動車部やラリークラブ主催のラリーに何戦か出場したことがある。当時はまだ規制が少なく、改造車があたりまえといった状況で、私のようなショックアブソーバーとタイヤを換えただけのノーマル同然の事では、一緒に参加するのもやっと、という感じだった。そんな状況に割り切れなさを感じ、同じ山道を足るのなら、四輪駆動車でマイペースで走ろうと、BJ41Vを買った。これが私とランクルのつき合いの始まりだった。1980年のことである。


きっかけの一文

『オーストラリアの国土の7割は「アウトバック」と呼ばれる、乾燥しきった人の住まない荒野、砂漠である……』
 アメリカ合衆国とほぼ同じ面積を持つオーストラリアのほとんどがそんな地なんていったいどんな国なんだ、アウトバックとは一体どんな場所なのだ、と。当時の私の理解するオーストラリアからは想像もできない一文は記憶に強烈に残った。新聞社のカメラマンとして働いていた私には、この一文が心に深く残りいつかアウトバックの風景、人間の生活などを取材に行きたいと考え始めていた。しかし行くからには少なくても2ヵ月は必要だ。会社に勤務しながらでは不可能なことだった。
 そんなとき、ある雑誌でオーストラリア・クイーンズランド州の「トヨタランドクルーザークラブ」についての10行ほどの記事を読んだ。私は早速そのクラブに手紙を書いた。「私はランクルでオーストラリアを旅する計画を立てている。その際、貴クラブの定例ツーリングに参加したい…」と。それに対する返事は私の想像をはるかに上回るものだった。「貴殿を当クラブの名誉会員として招待します。クラブ員が自宅を宿として提供すると申し出ています。詳しい日程を送ってください」というものだった。私のアウトバック行きはこの手紙もきっかけの一つになった。会社勤務をこなしながら、計画を徐々に煮詰めていった。
 新聞社勤め10年目に私は会社に半年間の休職を願い出た。半年間あればアウトバックをこの目で確認できるだろうと思っていた。しかし、「そのような制度はない」と退けられ、1年間の熟慮の末1986年5月に退職して現地に行く道を選んだ。
 そのときにアウトバックで知っていたことはエアーズロックがあるということぐらいだけであった。

シドニー港に陸揚げされたBJ41V




大好きな飛行機DC-3とも出会えた





アウトバックに関してはエアーズロック
の存在くらいしか知らなかった
船積み

 当時私はランドクルーザーBJ41Vに乗っていた。オーストラリアへ行くことを決心すると同時に、砂漠や荒地を走るならば自分のランクルを船で現地に運ぼうとも決めた。
 口で言うのはたやすいが、実行するにはやるべきことが山のようにあった。夢の実現のためにはさまざまな準備と手続きが必要だ。書類、車の装備、通関…。面倒だけどひとつひとつ自分の手で片付けた。
 1986年当時の豪州航路では川崎汽船が最も便数が多く、自動車をフェリーのように積み込めるRO−RO(roll-on roll-off) 船が、3ヶ月に2回横浜を出港しているのでそれを利用することにした。

また、“カルネ”という書類を取得する必要がある。外国へ車を持ち込むとき、個人の車といえどもその国の税関で輸入関税がかけられる。オーストラリアも輸入自動車に対する税率は高く、当時はほぼその車の価格に等しい関税をとられた。その支払いを免除してくれるのが“カルネ”である。必ず車を日本に持ち帰るという条件付で発給されJAFを通して取得した。

 そして車の準備である。もともとタフに作られているランクルは、レースに出るといった使い方をするのでなければ特別に改造を施す必要はない。準備したのは荷物を積む頑丈な棚を室内に用意したり、タイヤを新品にしたりといったことである。  車はエンジン、足回りを中心に点検し、オイル類をすべて交換しただけで、その他、特別な改造は一切していない。スペアタイヤ2本、ファンベルト、ラジエターホース(上下 各1本)、牽引ロープ、オイルフィルター、エアフィルター、電球、ヒューズなどのスペア部品にハイリフトジャッキ、スコップ、20リットル補助燃料缶4缶を加えた。その他、ラジエターの前にネットを張った。いわゆる網戸用のネットをグリルにはさんだだけだが、現地のドライブには必需品だ。ナイトドライブ時の虫の多さといったらない。特にアウトバックでは、ハエが多いのに驚かされる。  

 これから車を日本から持っていかれる方のために付け加えると、オーストラリアでは小型ディーゼル車は圧倒的に12V電装が多いので、24V電装のディーゼル車の場合は電装品を充分に用意した方が良い。特にリレーなどは入手が困難だ。また、サスペションなどを変更する場合は現地で変更しよう。その地に一番適した部品が手頃な価格で取り付けられる。また、うれしいことに、オーストラリアでは良質で頑丈なルーフラックをはじめとするアルミ製パーツが日本の半値くらいで手に入る。
 私は車の通関手続きをうっかりカルネのことを話さずに荷役会社に依頼したが、これは自分でやるべきだった。カルネによる通関手続きは個人でも簡単にできるし、日本に再び車を持ち帰るときの手続きが極めて楽だ。また、船賃は体積で決まるので、幌タイプの車は幌をはずしウィンドウを倒すこと。そしてスペアタイヤ、荷台、ミラーなど出っぱったものは極力車内へ収納しよう。少しでも寸法を小さくすれば船賃もそれだけ安くなる。わずか20センチほどのミラーの出っぱりも体積として計算されると無視できない。
 

すべてが日本とスケールが違った。
出港後、運賃を払いビーエル(B/L)と呼ばれる船荷証券を受け取る。この書類は現地で車の受け取りに絶対必要なもので、再発行がきかないから大切に保管すること。
 1986年6月1日、ランクルを積んだ船は出港。11日、私たち(私と妻)は空路シドニーへ出発した。


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